学力の成長しない性格:中学受験を控える小学生を見て

こんにちは、きょうちです。今日は塾でのお仕事の話をしたいと思います。

 

私は、セカンドワークとして、塾で教えています。社会人になって、ひょんなことから、週1日だけ数時間、人員不足の塾で働き始めたのですが、その塾より良い環境で働きたくて、二つ目の塾に入り、教えるようになりました。

 

塾での仕事は面白いです。小学生のお世話は難しいのですけれども、小学生の素質や性格を見ると、小さい「大人」としての萌芽を見ることが出来るので、社会的な、個人的な人間関係の勉強になるから、面白いのです。

 

小学生の担当になる

そんな折、一人の小学生の担当になりました。Aくんという名称にしましょうか。Aくんは、小学校6年生で中学受験を控えています。しかし、私は教えていて、すぐやっかいに感じるようになりました。今までもった生徒の、やっかいと感じると特徴を併せ持ったような生徒なのです。以下に説明していきましょう。

もっとも、全部リアルのことを書くわけにはいかないので、フェイクを交えて書いていきます。あくまでそこから分析できることを、一般的な形にして伝えたいという趣旨ですので、そこのところをよろしくお願いします。

 

やっかいなこととは?

では、どこがやっかいだと感じるようになったのかというと、まず、「課題に取り組まない」、次に「課題に取り組んだとしても、すぐに壁に当たり、投げてしまう」、最後に課題に取り組むように説得すると「独自の理論を述べてやらないことを正当化するか、自分の解答・回答を正解にしてしまう」という3重苦を背負っているからです。

これって大人でも全てに対して同じような人がいます。また大人でも不得手な内容に関しては、同じように行動してしまう方もいますね。

こういう性格だと、既存の学習支援の中では、本人の望むような志望校への、受験に適した能力を身に付けるのは、ほぼ不可能です。では具体的に見ていきましょう。

 

課題に取り組めない

まず、見てわからないと「わからない」といってすぐ問題を投げてしまいます。そりゃ、受験勉強に慣れていない生徒なら当然です。けれども、できないなりにも取り組むことは出来ます。問題文にヒントが隠されており、それ次第では、なんとか取り組めるようになっているからです。

にもかかわらず、取り組もうとしない。そして、問題文にヒントが隠されているよと教えても、わからないものはわからないといって投げてしまうのです。さらには、文字を埋めようとすることすらしない。

 

次に、取り組めるような問題だった場合や、取り組めるように一緒に問題を読み、解説をしつつ、回答への導入をした場合にも、すぐ壁に当たりやはり投げてしまうのです。具体的には、あなたの得意なことを挙げ、その根拠を3つ挙げなさいという作文問題があったとします。

この主の自分語りが出来る問題なら取り組みやすいですよね。彼の場合、スポーツと音楽とツムツム(ゲーム)はできるのようなことをいいます。が、試験問題の解答として、ゲームの話題は、回答に適しないのはいうまでもありません。適するような場合があったとしても、それを論理的に、中学受験に適するように書くというのは、この子の実力からして無理でしょう。

もちろん、将来の夢としてゲームクリエイターやプロゲーマーみたいなモノを挙げるなら別ですけれども、頭の固い教育者が読んだときの印象を考えると、教える側としては、別の選択肢を用意してといわざるを得ません。

にもかかわらず、ゲームのことを書こうとします。書きながら、その根拠が思い浮かばないというので、手助けをしようとして、どんなゲームをやったの?それをクリアしたの?どういう風に得意といえるの?と聞いてもうまく説明できません。

こんな様子ですから、これ以外のトピックで書けそうなモノを選びなさいというと、もう少し無難なトピックを選ぶものの、鸚鵡返しのように、○○が得意だといったら、その理由は○○が得意だから、そうだと思うからと答えてしまいます。つまり、考える力がないのです。

最後に、じゃあ、ゲームが得意な理由を挙げなさいと書いているのに、ゲームが得意だからという理由を書いて良いのか、そんな生徒を学校が欲しいと思うのかと聞いてみると、「自分はそういう人だから仕方がない」といい始める次第です。

私が推測するには、本人の素質+家庭環境で現在の性格になってしまったわけで、気の毒に思いますが、これでは成績を伸ばすのは非常に困難です。

 

この理由は「勉強の出来るようにならない性格」

一言でいえば、ものすごいプライドが高いのですね。プライドが高くても、それをもって勉強に取り組むエネルギーにしてくれたらよいかもしれない。「自分の力はこんなものじゃないはずだ」といって頑張る。これは、よくある光景ですよね

しかし、気になるところは、自分の成績を客観視することができていません。偏差値が20以上も上の学校を目指して勉強しています。私は偏差値とは受験直前までの目安に過ぎないし、それに囚われて進学先を絶対的に決めることはないと思っているのですが、解答(回答)の間違いを認めない性格ではとても厳しいです。

 

どんな「性格」ならいいのか

現実を見て、それに対処するにはどうすればいいのか考え、実践し、それが出来なかった場合には、違った対処をしていくという行動パターンを形成できる「性格」です。このように書くと、この行動原理を身に付けられる性格だということがわかります。少なくとも中学受験の問題に対して、この行動パターンを身に付けられない子どもは、受験には向いていませんし、受かることもないでしょう。

大人でも、加齢にしたがってアプローチを変えることのできない大人はいますが、これでは新しい時代には適応できません。

 

この性格を変えるのが教育のプロなのか?

彼のようなよくある特殊タイプの生徒は、大手の一般の塾では対応できないでしょう。なぜならば、時間とコストがかかるからです。言い換えれば、時給5000円以上の個人もしくは家庭教師なら別ですが、彼の性格に合わせてプライドを壊していくことが可能な権限と関係がなければ難しいです。権限とは、親のようにその子に接しても良いという権限であり、関係とはそれを実行するための、時間的な期間に基づいた信頼関係です。

つまり、彼をどうしても受からせたいという欲求を持っているような、さらに、その大変な労力に見合った状態が整っていて、対価を受け取れる状況にある人だと思います。高額な報酬を元に、家庭との連携を密接にとってその協力を得られる人間のみでしょう。

 

現役講師が教える塾の選び方、勉強のさせ方

私の勤務している塾は、それなりに教育熱心な講師がいると思います。けれども、塾として、ある生徒を受からせたいと見たときに、あまりに手のかかる生徒は漏れるでしょう。

教育とは、能力のある生徒を伸ばすためにあるという一方で、能力のない生徒を伸ばすためにもありますが、塾の進学実績を伸ばすためには後者の生徒に時間をかけてられないのも事実です。

塾で成績を伸ばしたいなら、塾のカリキュラムに則って親が管理できる状況にない方は、中学受験のために、絶対に手ごろに塾に通わせるのはやめたほうがいいと思います。

そうした管理は、塾だけではできません。中学受験の学習とは家庭学習をも含むものだからです。

 

問題なのは、自分で自分のことを知って、その問題点を気が付かないこと

私の考えは、全国の小学生全員が中学受験しなくてもいいと思いますし、全員がいわゆるいい学校に行かなくても良いと考えています。なぜならば、教育にはその人にとって適正があるからです。能力的な適正はもちろんありますが、その人にとっての適切な時期があります。また適切な環境もあるでしょう。

ただ、受験勉強を通じて得られるモノは、概して受験校が欲しいと思っている人材を把握し、ある種のその型にはまること、そして、その方を通じて自分を知ることだと考えます。

彼の場合、受験校が欲しいと思っている人材を把握していませんし、把握したとしてもその型にははまりたくないし、そういった自分の性格を知ろうとしない、ゆえに受験に向いていません。ですので、いくら勉強したところで、面接で難ありと判断される可能性は高いでしょう。

常にそうした状況を確認しつつ、対象化、客観視していかないと結果はでないとかんじています。