日本人だから、ノーベル章受賞者が日本人だとうれしいの?

ノーベル賞発表の期間になり、日本人が受賞するのかというのが話題に上がっています。かつて私は日本人が受賞といっても、日本での研究が認められたならともかく、海外の研究機関での研究であり、かつ日本が主導的に研究していたのではないから、その知見を独占的に利用できるわけでもないのになんで喜んでいるんだと考えていました。

 

ところが、いつのまにかその感覚も消えうせ、日本人が受賞と聞くとなんとなくうれしい気持ちになるようになりました。しかし、南部さん受賞のとき、米国籍になった人もまるで日本国籍であるかのごとく報道しているのを見て、複雑な気持ちになったのを覚えています。

 

今は、日本文化を背景に、母語を日本語としている人が受賞した時にうれしく思うとはっきりとわかりました。言葉や文化の影響について考えてみて、なるほど、同じ言語を基準として考える人が世界で認められたとしたら、自分と共通のアイデンティティが高く評価されたような気がしますものね。

 

もっともその例外が文学賞のあの人。大学生のころ、いくつか面白いと思って読みましたがその後の政治的言動や毎年出てくるカフェにあつまる信者を見て、嫌悪感を覚えるようになりました。

 

そういう方いますかね?苦笑い

 

学力の成長しない性格:中学受験を控える小学生を見て

こんにちは、きょうちです。今日は塾でのお仕事の話をしたいと思います。

 

私は、セカンドワークとして、塾で教えています。社会人になって、ひょんなことから、週1日だけ数時間、人員不足の塾で働き始めたのですが、その塾より良い環境で働きたくて、二つ目の塾に入り、教えるようになりました。

 

塾での仕事は面白いです。小学生のお世話は難しいのですけれども、小学生の素質や性格を見ると、小さい「大人」としての萌芽を見ることが出来るので、社会的な、個人的な人間関係の勉強になるから、面白いのです。

 

小学生の担当になる

そんな折、一人の小学生の担当になりました。Aくんという名称にしましょうか。Aくんは、小学校6年生で中学受験を控えています。しかし、私は教えていて、すぐやっかいに感じるようになりました。今までもった生徒の、やっかいと感じると特徴を併せ持ったような生徒なのです。以下に説明していきましょう。

もっとも、全部リアルのことを書くわけにはいかないので、フェイクを交えて書いていきます。あくまでそこから分析できることを、一般的な形にして伝えたいという趣旨ですので、そこのところをよろしくお願いします。

 

やっかいなこととは?

では、どこがやっかいだと感じるようになったのかというと、まず、「課題に取り組まない」、次に「課題に取り組んだとしても、すぐに壁に当たり、投げてしまう」、最後に課題に取り組むように説得すると「独自の理論を述べてやらないことを正当化するか、自分の解答・回答を正解にしてしまう」という3重苦を背負っているからです。

これって大人でも全てに対して同じような人がいます。また大人でも不得手な内容に関しては、同じように行動してしまう方もいますね。

こういう性格だと、既存の学習支援の中では、本人の望むような志望校への、受験に適した能力を身に付けるのは、ほぼ不可能です。では具体的に見ていきましょう。

 

課題に取り組めない

まず、見てわからないと「わからない」といってすぐ問題を投げてしまいます。そりゃ、受験勉強に慣れていない生徒なら当然です。けれども、できないなりにも取り組むことは出来ます。問題文にヒントが隠されており、それ次第では、なんとか取り組めるようになっているからです。

にもかかわらず、取り組もうとしない。そして、問題文にヒントが隠されているよと教えても、わからないものはわからないといって投げてしまうのです。さらには、文字を埋めようとすることすらしない。

 

次に、取り組めるような問題だった場合や、取り組めるように一緒に問題を読み、解説をしつつ、回答への導入をした場合にも、すぐ壁に当たりやはり投げてしまうのです。具体的には、あなたの得意なことを挙げ、その根拠を3つ挙げなさいという作文問題があったとします。

この主の自分語りが出来る問題なら取り組みやすいですよね。彼の場合、スポーツと音楽とツムツム(ゲーム)はできるのようなことをいいます。が、試験問題の解答として、ゲームの話題は、回答に適しないのはいうまでもありません。適するような場合があったとしても、それを論理的に、中学受験に適するように書くというのは、この子の実力からして無理でしょう。

もちろん、将来の夢としてゲームクリエイターやプロゲーマーみたいなモノを挙げるなら別ですけれども、頭の固い教育者が読んだときの印象を考えると、教える側としては、別の選択肢を用意してといわざるを得ません。

にもかかわらず、ゲームのことを書こうとします。書きながら、その根拠が思い浮かばないというので、手助けをしようとして、どんなゲームをやったの?それをクリアしたの?どういう風に得意といえるの?と聞いてもうまく説明できません。

こんな様子ですから、これ以外のトピックで書けそうなモノを選びなさいというと、もう少し無難なトピックを選ぶものの、鸚鵡返しのように、○○が得意だといったら、その理由は○○が得意だから、そうだと思うからと答えてしまいます。つまり、考える力がないのです。

最後に、じゃあ、ゲームが得意な理由を挙げなさいと書いているのに、ゲームが得意だからという理由を書いて良いのか、そんな生徒を学校が欲しいと思うのかと聞いてみると、「自分はそういう人だから仕方がない」といい始める次第です。

私が推測するには、本人の素質+家庭環境で現在の性格になってしまったわけで、気の毒に思いますが、これでは成績を伸ばすのは非常に困難です。

 

この理由は「勉強の出来るようにならない性格」

一言でいえば、ものすごいプライドが高いのですね。プライドが高くても、それをもって勉強に取り組むエネルギーにしてくれたらよいかもしれない。「自分の力はこんなものじゃないはずだ」といって頑張る。これは、よくある光景ですよね

しかし、気になるところは、自分の成績を客観視することができていません。偏差値が20以上も上の学校を目指して勉強しています。私は偏差値とは受験直前までの目安に過ぎないし、それに囚われて進学先を絶対的に決めることはないと思っているのですが、解答(回答)の間違いを認めない性格ではとても厳しいです。

 

どんな「性格」ならいいのか

現実を見て、それに対処するにはどうすればいいのか考え、実践し、それが出来なかった場合には、違った対処をしていくという行動パターンを形成できる「性格」です。このように書くと、この行動原理を身に付けられる性格だということがわかります。少なくとも中学受験の問題に対して、この行動パターンを身に付けられない子どもは、受験には向いていませんし、受かることもないでしょう。

大人でも、加齢にしたがってアプローチを変えることのできない大人はいますが、これでは新しい時代には適応できません。

 

この性格を変えるのが教育のプロなのか?

彼のようなよくある特殊タイプの生徒は、大手の一般の塾では対応できないでしょう。なぜならば、時間とコストがかかるからです。言い換えれば、時給5000円以上の個人もしくは家庭教師なら別ですが、彼の性格に合わせてプライドを壊していくことが可能な権限と関係がなければ難しいです。権限とは、親のようにその子に接しても良いという権限であり、関係とはそれを実行するための、時間的な期間に基づいた信頼関係です。

つまり、彼をどうしても受からせたいという欲求を持っているような、さらに、その大変な労力に見合った状態が整っていて、対価を受け取れる状況にある人だと思います。高額な報酬を元に、家庭との連携を密接にとってその協力を得られる人間のみでしょう。

 

現役講師が教える塾の選び方、勉強のさせ方

私の勤務している塾は、それなりに教育熱心な講師がいると思います。けれども、塾として、ある生徒を受からせたいと見たときに、あまりに手のかかる生徒は漏れるでしょう。

教育とは、能力のある生徒を伸ばすためにあるという一方で、能力のない生徒を伸ばすためにもありますが、塾の進学実績を伸ばすためには後者の生徒に時間をかけてられないのも事実です。

塾で成績を伸ばしたいなら、塾のカリキュラムに則って親が管理できる状況にない方は、中学受験のために、絶対に手ごろに塾に通わせるのはやめたほうがいいと思います。

そうした管理は、塾だけではできません。中学受験の学習とは家庭学習をも含むものだからです。

 

問題なのは、自分で自分のことを知って、その問題点を気が付かないこと

私の考えは、全国の小学生全員が中学受験しなくてもいいと思いますし、全員がいわゆるいい学校に行かなくても良いと考えています。なぜならば、教育にはその人にとって適正があるからです。能力的な適正はもちろんありますが、その人にとっての適切な時期があります。また適切な環境もあるでしょう。

ただ、受験勉強を通じて得られるモノは、概して受験校が欲しいと思っている人材を把握し、ある種のその型にはまること、そして、その方を通じて自分を知ることだと考えます。

彼の場合、受験校が欲しいと思っている人材を把握していませんし、把握したとしてもその型にははまりたくないし、そういった自分の性格を知ろうとしない、ゆえに受験に向いていません。ですので、いくら勉強したところで、面接で難ありと判断される可能性は高いでしょう。

常にそうした状況を確認しつつ、対象化、客観視していかないと結果はでないとかんじています。

ひさびさのドラクエ体験:ドラクエ11クリア後感想(ネタバレ含む)

ふと気が付くと前回の更新から1ヶ月以上たっていました。お久しぶりです。

かつて一大ブームを引き起こしたテレビゲームのナンバリングタイトルのドラゴンクエスト11が去る7月29日に発売されました。私はドラクエが好きで1~11のうち、1から6までやりました。

7以降は大人になったこと、CMのパーソナリティがSMAPだったことをきっかけにやめました(筆者はSMAPが昔から嫌いです。ジャニーズが嫌いなわけではありません)。

しかし、ドラゴンクエストヒーローズという作品がプレイステーション4(以下PS4)で発売されたのをきっかけに、9とヒーローズ2もやったので、結果的に、7と8と10(オンライン)以外の作品はプレイしたことになります。

さて、今回のドラクエはすでに300万本売れているそうですが、前評判があまりにもよかったので、ニンテンドーの携帯ゲーム機である3DS版とPS4版両方ハードとセットで買いました。3DS版はクリアしたものの、PS4版は開封すらしていませんという状態ですが、感想を書いていきたいと思います。

 

ドラクエ11の世界

ドラクエ11ドラクエ1~3の世界との関連があります。前情報では、1~3と同様につながりのある4~6を繋ぐ話ということで、評判がよかったので購入しました。しかし、4~6との関連性は、そこまで深くないように感じました。

もっとも、ドラクエの世界のすべてを詰め込んでいるので、「ドラクエのあのシーンだ」と思い出させるようなシーンにそのときのBGMが流れるという仕掛けがほどこされており、童心に帰れるような気持ちでプレイでき、100時間ほど楽しい時間をすごすことができました。

例えば、大事な人との別れのシーンでは、ドラクエ5の主人公の父親パパスとの別れのシーンのBGMが流れます。当時私はまだ子どもでしたが、愛してくれる父親が子どものために命を失うというシーンは感動したのを覚えています。今回のプレイで、その感動が蘇り、2つの気持ちでそうしたシーンを見ていました。

他にも、フィールド画面での音楽にもドラクエ3のBGMが用いられるなど郷愁(?)を思い起こされるもので、若いときにしたドラクエの冒険をよみがえらせてくれました。

さらに、新曲の世界樹の場面で流れる曲も、透明感や癒しを感じさせる曲でとても気に入りましたし、新しい要素も含まれています。

ドラクエ3であった転職がなくなった代わりにスキルパネルというキャラ固有のスキルを得られるシステムが追加されました。ファイナリファンタジー10(FF10)でいうところのスフィアパネルで、決まった成長要素があり、プレイヤーが好きにポイントを振り分け成長させていく仕組みです。

また、良質のアニメーションも今回が初なのではないでしょうか。7以降ではアニメーションが流れるようなのですが、あまり評判がよくなかったようですが、今回は以前ほど悪くないように思えます。

 

ドラクエシリーズに求めるモノ

私は2D型のドラクエが好きで、旧世代のRPGが基本的に好きでした。特に近年のFFシリーズがホストファンタジーと揶揄されるように、グラフィックが綺麗であっても、自分が入り込めないようなファンタジーの世界を求めていません。それは、いわゆる中2病的な「俺って選ばれた特殊能力者なんだぜ、かっこいいだろ?」っていうのが前面に出てくる作品であり、それらは、生理的にだめです。

けれど、ドラクエの勇者は、たとえ選ばれた者であってもそういう直接的で病的な描写がないため、気にならずプレイすることが出来ます。与えられた役割を演じ、実行するだけに近いと感じています。

 

俺TUEEEEも求めてない

ネットスラングで「俺TUEE」(つえーと読む)っていうのがありますが、自分が強くなって雑魚を蹴散らすっていうのも面白いと感じません。特にドラクエのモンスターはかわいいので、いじめ的なものに見えて好きではありません。

ただ、レベルが上がるとどういう風に敵との戦いが変化するのか、楽になったらうれしいというのはありますね。

 

堀井雄二が作ったシナリオの勇者像をひたすらなぞるゲーム

昔はゲームは映画になっていくように思われました。プレイステーションの登場でCGがふんだんに盛り込まれた映画のようなゲームが増えたからです。

だけれども、私は映画のようなゲームは一切求めていません。それなら映画を見ればいいのではないですかね。ゲームがゲームである所以は、自分でプレイしてストーリーを進めるところにあります。ロールプレイするゲームなのですから、与えられた役割とそれに合致するシナリオが欲しい。

その点、ドラクエは中世ヨーロッパの騎士の時代に加えて、特殊な文明や魔法を加えたファンタジーの世界。それに、ちょっとした今の時代の流行を入れているというちょっと不思議な世界。その中で、勇者の血筋を引くもの、選ばれた者が、世界を脅かす魔王を倒すというきわめて単純なシナリオに基づいて進んでいきます。これは、日本のRPGといわれるゲームの基本となりました。この雛形があるので、誰もがみんな気軽にこのストーリーに参加できるわけです。

ところが、RPGは発展の間に、シナリオがどんどん複雑化し、一見してわかりにくくなっていきます。複雑でも、シナリオを進めていく中で、描写があればいいのですが、謎にしたいのか、伏線回収をし損ねているのかわからないような作品が増えて、自分が歳をとった影響もあり、ゲームから離れていきました。

今回のドラクエは、単純なシナリオでありながら、プレーヤーをあきさせないシナリオで、ドラクエ初体験の人でも楽しめるシナリオ展開になっていて大満足でした。

 

問題点 ここからはガチネタバレなので読む方は注意

けれども、今回のドラクエ11、完璧ではありません。シナリオ矛盾を感じられる、手抜きと感じられるところがあります。

(1) 人魚ロミアの物語 人魚ロミアは悲しい運命をたどるのですが、何の説明もなくハッピーエンドになっている。ただしこれは、後日弁明がある模様です。

(2) 幼馴染エマの発言 エマとは作品の一番最初で一緒に冒険するのですが、他のキャラクターが登場して忘れ去られがちになります。それを配慮したのか、後に再開するときに、自ら「私は幼馴染のエマよ」というセリフがたびたび出てくるのですが、これが興ざめすると評判です。

(3) エマとの結婚 ネルセンの試練というほぼ最終のダンジョンの一つで、エマと結婚するという選択肢でその褒美がもらえます。けれど、「告白して来い」などからはじまって進むのならわかるのですが、突然結婚をしたことになってしまいます。故郷に戻ると、結婚式の写真まで貼ってあるという謎展開。非常に困ります。

(4) 結婚への嫌悪感 プレイヤーは、非常に魅力的な女キャラクター3人と一緒に旅をしていて、彼女らは命をかけて主人公である勇者と旅をします。にもかかわらず、幼馴染のエマとの結婚しか選択肢がありません。しかも、エマとのイベントは最初の一回だけであとはプレイヤーの印象には残らないのです。16年の歳月をともにした幼馴染とはいえ、イベントが少なくて結婚したいと思えないのです。

(5) セニカの矛盾その1 伝説の勇者のパーティの要である賢者生まれ変わりとされるセーニャとベロニカですが、実は忘れ去られた塔でセニカは時の番人として存在しています。じゃあ、生まれ変わりじゃないのか、どうなのか、ということに作品中では答えていません

(6) セニカの矛盾その2 セニカはエンディングで過去に戻りますが、過去に戻ると歴史が改変されて現在の世界は無くなってしまうのか、そのまま残るのかなど疑問が残ります。

 

9月29日に生放送で疑問に答えてくれる番組があるそうなので楽しみにしています。そしてもし、ドラクエ11買おうか迷っている方は、買った方がいいですよ(笑)

 

ネットの世界のコミュニケーションのいいところ

先日、コメント欄で10代、20代の人とやりとりする機会がありました。このコミュニケーションで共感してもらった件があるのでご紹介したいと思います。

 

私が思うネットでのコミュニケーションの良いところは、偏見が少なく、その意見だけを判断できるということです。

 

リアルでは、「この意見や情報の発信者はどういう人なのか?」というのが重要視されます。これは、発信者の言語行動と実践の整合性を判断されるところが大きいからです。

例えば、他者の行動を批判するとき、容易に以前の発言をさかのぼれる現代では、以前自分も同じような悪い行動をしていなかったかとかチェックする必要がありますね。

だけれども、一方、ネットでは、情報の発信者はあだ名や匿名、記号などの識別子に加えて簡単なプロフィールの情報しか与えられません。これは、その情報自体が有効な情報であればすぐに取り入れることができるることになります。つまり、ネットではそういう事前の履歴は関係なしに、発言が正しいか、そして自分自身が実現可能なレベルなのかだけチェックして、やるかやらないかを決めればいいのです。

 

もちろん、その分、リスクも大きい場合があります。顔の見えない相手がひょっとしたら悪意を持って行動しうるからです。そこには注意が必要です。

が、リスクが少ないような内容ならば、どんどん情報を出して、それに対する意見をもらって、使っていくことが出来ます。具体的には、友達に○○っていわれて喧嘩してしまったのだけど、謝ったほうがいいかなレベルの、日常性の中にあるような判相談事の場合(かつ絶交レベルにならないような事柄)だったら、自分の身近な友人関係に尋ねるよりも、全部を知らないが故の客観的な答えが返ってくることがあります。

 

これをリアルでやってしまうと、たわいもないことなのだけれど身近な人には知られなくないような情報を話さなくてはなりません。情報の秘匿性という点から考えると、危なっかしく、その後のことについても影響が出る場合がありますね。

 

これがインスタントなメリットだと思います。

娘の元交際相手に侮辱メールで慰謝料440万円を考える

なにやらネットで話題になっているこの記事。

 


記事によると、

 元交際相手の少女の母から「ろくでなし」「ふさわしい学力の子とお付き合いしてもらう」といったメールを送られ、その後自殺した埼玉県内の少年(当時15)の遺族が、少女の母に計3千万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が19日、さいたま地裁であった。針塚遵裁判長は「許されない人格非難」などと人格権の侵害を認め、少女の母に慰謝料など計440万円の支払いを命じた。

 少年はメールが届いた日に飛び降り自殺したが、判決は「自殺を促す直接的な記載はない」などとしてメールとの因果関係は認めなかった。

とあります。

 

ネットの意見と見てみると

自分の娘なら同じようにいう

とか

それをいわれたくらいで自殺するなんて、そこまでの子だ

とかある一方で

子どもの恋愛に口出すなんて

という意見もありました。

 

440万という重い判決

私は、15歳の少年にとっては衝撃的なことだとは思うのですが、もし否定されたことがここの記述にあるように「学歴」とその周辺に関することだったならば、大学受験で挽回できるのでずいぶん精神的に弱い少年だと思いますし、これにより自殺を図るとは交際相手の母には予測できないと思いますから、440万の慰謝料は随分重いものだと考えました。つまりこれは、因果関係を認めないではいるものの、大きく責任を認めさせていると考えます。

なぜなら、出版社の半公人に対する名誉毀損でも100万程度の判決はよく耳にするからです。

 

親の気持ちと少年の精神状態

メールの文面から推測すると、この少年はおそらく底辺高のような所に進学したように思えますし、娘がそういう少年とは違って進学校に進学したなら、わざわざそういう少年と交際してほしくないと思うのは、親の気持ちとしてよくわかるからです(逆に、1ランク下の高校に進学したくらいでやったのなら明らかにやりすぎです)。

さらに、仮にこのことをきっかけに自殺するような少年なら他のことでも自殺するように思えてなりません。元々自殺企図する傾向があったのではないでしょうか。思春期の複雑な事情はあるとはいえ、出自のような本人の与り知らない事情ならともかく、学歴は、ある程度の努力で得ることができるのですから、それくらい勉強して見返してやればいいのにと思います。

 

親というものは交際に反対する生き物

私がそう思ってもしまうのも、当時の彼女の母親に、交際を邪魔されたことがあるからかもしれません。その彼女は日本全国誰もが知る学校に通っていましたが、学歴で反対されていたわけではなく交際自体に反対だったのをわかっていましたし、仮に何を言われようが、そこまで気にしなかったでしょう。

さらに子どものころ、親の世代の話で、「昔は携帯電話がなかったから、家族が出るかもしれない電話にかけなくてはいけなくてつらかった」という話をテレビでもよく聞いていたもので、男女の交際には、親は基本的に反対するものだという認識があるのもその一因です。

親は自分の子が子どもだと思っているうちは交際に賛成するような親は実にリベラルな親でしょう。子の恋愛する自由を認めるのですからね。こういうのは基本的に例外なのです。特に進学を考える親にとっては。

こう考えると、親が反対することを前提として、どのように交際するかの方が重要になってきます。もちろん私は、やらなきゃいけないことの間を縫って一緒に楽しいときをすごしていましたよ。

 

 

見逃していた記述ー「娘を傷つけて」

私は見逃していたのですが、メールの中で「娘を傷つけて」という記述があるそうです。これは、性的関係をもったことの裏返しでしょうか。これにネットの民は、

そりゃあ、怒るわ。交際当初はまだ中学生だったわけだから

という印象をもっていようです。

確かに、中学生で性的関係を持つことはありえますが、ずいぶん昔の私の周りですと、ヤンキーみたいな人たちしかそういうのは耳にしなかったですね。まじめな人たちは黙っているんでしょうが。どのくらいの期間交際していたのか、仮にそういう関係になったとして、どっちからどのようにアプローチしたのかはわかりませんが、中学生くらいの交際で、仮に交際期間1年以下で、そうなってしまうのは、短絡的な交際だと思いますね。1年以上でも、やっぱり中学生はと思います。高校生になってからの関係でしたら、また話は別になりますが。

 

皆さんはどう思われますか。

細菌に感染した蚊2000万匹を野に放つ

こんばんは。面白いニュースがあったのでコメントを書きたく記事を書きました。

 

要約すると、米グーグルの関連企業が、不妊になる菌に汚染された蚊を野に放って、不妊の子を作らせて半減・絶滅させる計画だそうだ。ジカ熱に苦しめられている住人には朗報でしょう。

 

 

 

確かに、遺伝子組み換えの蚊を使うよりは安全だろうけれど、元々この蚊がいなかった地域であるから、仮に全滅したとしても、問題はすくなさそうです。 

 

しかし、あえてここで危険性を考えてみたいのです。本当にデメリットはないのでしょうか。

 

 

ボルバキア菌のリリースが生態系の他に悪影響を及ぼすことはないのでしょうか。どの程度まで、その影響を調べているのか知りたいものですね。

【差別か?】富山生まれ「極力採りません」「閉鎖的な考え方が強いです」本間不二越会長

こんにちは。おもしろい記事を見たので紹介します。富山県の企業の会長が富山県出身者をとりたくないという記事です。地方が地方出身者を優先的に採用するという話はよく聞きますが逆のパターンです。

 

富山生まれ「極力採りません」「偏見かもしれないが、閉鎖的な考え方が強いです」 本間不二越会長

http://webun.jp/item/7383275

 

本記事によると、富山県出身者で、高校まで富山にいた者は、閉鎖的な考え方が強く総合職としては採用せず、全国から広く取りたいと本間会長はいっています。

 

一方、これには、猛反発する人もいて、現在の差別を撤廃していこうという考え方からすれば、当然だからです。

しかし、私企業の人事権について口出ししてまで「いい、悪い」といえるのでしょうか。「文化圏」という言葉があるように地域が人を作ることは事実であり、それを全国的な展開を目指す企業が、自社の社員構成を調整するのに、こうした発言をすることは許されないのでしょうか。

 

インターネット上でも賛否両論が巻き起こっています。社会的に責任のある発言をしたい、インテリを気取りたい、差別をなくして合理的な区別をしたいと思う方もそうでない方も論点を把握したら有効かと思うので書いていきます。

 

差別はなくして合理的な区別でなくてはならない

憲法14条平等権、女子差別撤廃条約、障害を理由とする差別禁止に関する法律などこれらの根拠はいくつもあるでしょう。私企業であっても、強行法規に違反する企業の内規は無効です。

特に憲法14条では、すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されないとされています。

本人の与り知らないことによる差別は、認めてはならないからです。

そりゃそうでしょうね。例えば、仮に大阪の一部上場企業が「大阪府大阪市堺市吹田市出身者しか採用しないよ」といったら、即行政指導が入るでしょうね。なぜなら、出身地は、選べないからです。部落出身者への差別という話がありますが、特定の地域以外を差別するということも同義です。

 

では、本間会長はどういえば良かったのでしょうか。

富山県出身者は、閉鎖的な考え方が強いので、総合職採用面接ではそこを中心に聞き取ります。もし閉鎖的な考え方が強かったら採用しません。」「弊社は全国企業なので、多様性を軸に、富山県出身者を常に優遇することはありません。」

といえば、おそらくこのような批判は浴びなかったでしょう。もっとも、新聞記事からのソースですので、本間会長がどのように言ったのかはわかりかねます。

 

 


差別といえば、この記事も最近話題になっていました。太った乗客には追加料金をという記事。出身地と違って、これは合理的な区別のような気がしますね。しかし、追加料金の請求の仕方によっては差別になるかもしれません。

というのは、人間の体型というのは、大きい人から小さい人まで多く存在するというのが予めわかっているからです。もし重量に関係ない料金体系なら、大きい人太っている人は得をするかもしれないし、小さい人細い人は損をするかもしれない。けれども、そういうのを含めて人間だから、許容していこうという精神が背景にあるからだそうです。

事実、交通事故の事例で、個人の身体的特徴のせいで、重症になってしまった場合に、その特徴ゆえの被害まで、相手方は背負う必要があるのかという話を聞いたことがあります。これは、よほど特殊な事柄じゃない場合は負うそうですよ。

これを聞いたとき、なるほどと思いました。

だたし、やはり極端な場合、体重が350キロあるとか3人分を取るとかそういう場合には、追加料金をとられてもしょうがないでしょう。経営をあまりにも圧迫するからです。その辺りの線引きは、数値的な根拠がないと厳しいでしょうね。